読了 自由からの逃走

自由からの逃走を読了しました。2021 年読了本 2 冊目。

最初のまとめ

読み始めの動機

同著者フロムの愛するということが学びがあったため。

概要

中世には自由はなかったが、孤独になることはなかった。たまたま生まれた場所で先祖代々の職業に就き、生涯を過ごすため、人生の意味を疑う余地も必要もないものだった。

中世が終わり、経済発展に伴い、伝統的な絆が失われる。自由を得るとともに、孤独と孤立をもたらされたことで、人々は自由からの逃走を図ろうとする。

感想

なかなか難解で歴史的背景や当時の宗教観など押さえていないと、理解が難しいと思う。

フロムが主張している封建主義的な伝統的な絆を失った代わりに自由を得ているというのは現代でも地続きなので、学びはある。題にもある消極的な意味の「・・からの逃走」と積極的な意味の「・・への逃走」を理解すると孤独感を抱えていたり、不健全な関係性に悩んでいたりする人の解決策になりそう。

消極的な自由からの逃走は、この本ではマゾヒズム・サディズム的傾向で説明されている。

マゾヒズム的傾向は自分を無力なものと認識し、外部の何かしらの力に服従することで、自由からの逃走をする。ブラック企業や悪縁を断ち切れない人はこのような考え方を持っているように思われる。

対して、サディズム的傾向では他人を服従させ、所有することで、自由からの逃走をする。マゾヒズム的と比べると分かりづらいが、他人を支配することで自由が持っている側面の孤立から逃れているという主張。また、自由にできる外界が存在することこそが孤立を招いているので、その外界そのものを破壊しようとする性質ももつ。

マゾヒズム的傾向とサディズム的傾向は互いが互いを必要としている関係性で、不健全ではあるが、内部からは改善がしづらい厄介な状態だ。このような関係性は今の日本でも往々にして見るものだし、現在進行系で苦しんでいる人も少なくないかもしれない。

こういった消極的な逃走ではなく、積極的な逃走には人間のパーソナリティの実現と感情的知的な表現によって実現され、すべての人に備わっている能力であるという主張で締められている。

本から引用。

積極的な自由は全的統一的なパースナリティの自発的な行為のうちに存する。

自発的な行為は自己を犠牲にすることなく、外界と結びつけることで孤独の恐怖を克服する唯一の道である。自発的な行為には強迫的でない創造的な仕事であったり、相手を所有しない愛であったりする。自発的な愛については、同著者愛するということを参照のこと。

まとめ

1941 年に書かれた少し古い本だが、今読んでも通ずるものが多い内容。自由に伴う孤独や孤立に悩んでいる人にお勧め。